記事一覧

ERMENEGILDO ZEGNA(AGNONA) ②

アップロードファイル 190-1.jpgアップロードファイル 190-2.jpgアップロードファイル 190-3.jpgアップロードファイル 190-4.jpg

“エルメネジルド・ゼニア”訪問の続編です。
本社社屋と工場は敷地内ですべて繋がっているのですが、その社屋の側面にあり前回ご紹介した庭園に面した部分には、恐らく以前はダイニングルームとして使われていたであろう(そして、近年は講堂として使われることもある)、美しい壁画に囲まれた部屋があります(左上写真)。
ちなみに、この壁画には産業革命以前の服地製造工程が描かれており、工程順に飾られているそうです。
この部屋に入ると目を惹かれるのは、壁面にそって陳列された原毛の数々。
刈り込まれたばかりの状態のメリノウール(右上写真)や、梱包されたままのカシミア(左下写真)など、スーツ地に使用される獣毛の様々な段階のものを見る事ができます。
私もこういう仕事をしていますが、色々な原毛を見比べられる機会はあまりないので、大変興味深く見学しました(勿論、実際に触れることもできます)。
右下写真にあるのは、最高品質の賞を受賞したウールやモヘアなどの原毛です。
-続く-

ERMENEGILDO ZEGNA(AGNONA) ①

アップロードファイル 189-1.jpgアップロードファイル 189-2.jpgアップロードファイル 189-3.jpgアップロードファイル 189-4.jpg

19世紀後半に当時時計職人であったアンジェロ・ゼニアは織物工場の設立を思い立ち、1910年に設立されたその工場は、アンジェロの10番目の末息子であったエルメネジルド・ゼニアの功績によって織物工場の枠を打ち破る、世界に名立たる高級メンズファッションブランドへと変貌を遂げました。
これが皆様ご存知の“ERMENEGILDO ZEGNA(エルメネジルド・ゼニア=以下ゼニア)”の成り立ちです。
弊社は同社が1999年に買収した高級婦人服地ブランドで、現在は“ゼニア”の工場内で生産されている“AGNONA(アニオナ)”を長年取り扱っており、私も“ゼニア”は親しみのあるメーカーの一つです。
4年前に初めて訪問して以来、久しぶりにビエラ近郊の村 トリヴェロにある同社の織物工場(創業の地)を訪問してきましたので、シリーズでご紹介させていただきたいと思います。
まず、左上写真はムッソリーニの時代に建てられたという本社社屋。
エントランスを入ると現れる重厚で美しいエントランスホール(右上写真)は素晴らしいコンディションが保たれていて、当時の雰囲気を現在に伝えています。
そして今回初めて案内していただいたのが、工場に隣接する敷地にある美しい庭園(左下写真)。
この庭園内にはエルメネジルド・ゼニアが実際に暮らしていた家(右下写真)も現存しているのですが、工場内の喧騒とは打って変わって静寂に包まれたこの空間にいると、20世紀初頭にタイムスリップしたような不思議な感覚におちいってしまいました。
-続く-

VITALE BARBERIS CANONICO ②

アップロードファイル 186-1.jpgアップロードファイル 186-2.jpgアップロードファイル 186-3.jpgアップロードファイル 186-4.jpg

“VITALE BARBERIS CANONICO(ヴィターレ・バルべリス・カノニコ/以下カノニコ)”初訪問の続編です。
前回書かせていただいたように、年間生産量800万メーターというとてつもないスケールや、全工程で湿度を80%に保つことから始まる徹底したクオリティーコントロール。そして、服地の仕上げに利用する大量の水を、自社内でほぼ100%浄水し再利用するなど(イタリアの大規模ミルの中でもこちらだけとの事)、ずば抜けた先進性と高級服地生産へのこだわりに感心しきりの初訪問でした。
服地生産に関して私が最も驚いたのは“WEAVING(織り工程)”で、左上写真をごらんいただければお分かりいただけると思うのですが、織機(LOOM)がカバーで完全に密閉されています。左が密閉中の織機で、右が開いている状態です。
私は今までたくさんのミルを見てきましたが、このようにカバーがついた織機は初めて見ました。
特注品との事でしたが、その理由を尋ねると「第一は、工場内はたくさんの繊維片が空気中を舞っているので、カバーによって異物の織り込みを防ぐため。そして第2の目的は、耳栓をしていても長年工場内で作業していると耳が悪くなるので、作業員の耳を守るため。当社では20年前からこのような特注の織機を使用している。」との事。品質だけでなく従業員の健康にまで気を配る同社の姿勢には、本当に感銘を受けました。
右上写真は最新式の洗浄機で、全ての仕上げ工程が終わった反物は、不良箇所がないかどうか熟練工員によってしっかりとチェックされます(左下写真)。
そして出来上がった反物は、前回ご紹介した紡績後の糸の倉庫(全自動・無人)同様の倉庫(右下写真)に収納されていくのですが、ベルトコンベアーで次々に運ばれてきて、“UFOキャッチャー”のような機械で摑まれ同じく自動的に運ばれてきた籠に反物が落とされていく様は近未来的で、英国の伝統的もの作りを見慣れている私には非常に新鮮に映りました。
高品質のもの作りには、様々なアプローチがあることを実感させられた今回の訪問でした。

VITALE BARBERIS CANONICO ①

アップロードファイル 185-1.jpgアップロードファイル 185-2.jpgアップロードファイル 185-3.jpgアップロードファイル 185-4.jpg

今回の出張で初訪問となったのが、そのルーツを1663年まで遡るというイタリアミルの名門中の名門、“VITALE BARBERIS CANONICO(ヴィターレ・バルべリス・カノニコ/以下カノニコ)”です。
ミラノから車で約90分の町、ビエラ近郊のトリヴェロ地区に広大な工場を擁する同社は、紡績から仕上げまでを全て自社内で行いながら、年間約800万メーターという膨大な長さの高級紳士服地を生産しています。これはスーツに換算すると約270万着というとてつもない数になります。
日本ではイタリアを代表する服地のブランドの一つとして知られながらも、価格のリーズナブルさゆえ郊外型紳士服店や低価格オーダースーツ店で販売されることも多い為、“カノニコ”の服地に少しチープなイメージをお持ちの方も多いと思います。
しかし、同社の服地のクオリティーとコストパフォーマンスの高さは業界関係者の中では有名で、実は“カノニコ”の最大取引先は服地メーカーから世界的ファッションブランドに変貌を遂げたイタリアの“Z”社であったり、高級服地マーチャントとして知られるあの“S”社の多くの服地を織ったりしているのです。
前置きが長くなりましたが、左上写真はまるでカリフォルニアのIT企業の様に明るく開放的な同社のオフィス棟の、中心に位置する中庭。同社の敷地と建物は広大すぎて、全容を撮影することは不可能でした。
右上写真は原毛をストックする倉庫で、ウールやモヘアなどが大量に貯蔵されていました。
ちなみに同社の工場内は全工程で湿度が約80%に保たれているのですが、これはクオリティーの高い服地を製造する為に徹底されているそうです。
紡績された糸は高さが4階建てのビル程もある全自動・無人倉庫で保管され(左下)、次の工程へと運搬される際も無人フォークリフト(右下写真)で運ばれます。
私は今まで色々なミルを見てきましたが、“カノニコ”はその規模・先進性ともに突出しており、見学していて久々に興奮してしまいました。
-続く-

DELLA SPIGA

アップロードファイル 181-1.jpgアップロードファイル 181-2.jpgアップロードファイル 181-3.jpgアップロードファイル 181-4.jpg

ミラノでは今回も週末を過ごしたので、市内各所を散策することができました。
一番の高級ブランド通り“モンテナポレオーネ”は、市場調査の一環としていつも行くようにしているのですが、本日は今回初めて訪れたショッピングストリート“デッラ・スピーガ”について書かせていただきます。
“モンテナポレオーネ”のすぐ横を平行して走っているこの“デッラ・スピーガ(上写真)”は石畳の閑静な通りで、“エルメス”を始めとする多くの有名ブランドが軒を連ねています。人も車も多い“モンテナポレオーネ”とは一味違う、ゆったりとした雰囲気が素敵でした。
この通りにあった“CAR SHOE(カー・シュー=左下写真)というショップは、ウインドーに飾られたホイールの数々が目立っていて「ドライビングウェアのブランドかな?」と思っていたのですが、後で調べてみると1963年に創業されて2001年にプラダグループの傘下に入ったブランドで、モカシン型のドライビングシューズが特に有名とのこと。
今回は入らなかったので、次に行った時はゆっくり見てみたいと思います。
右下写真は、“エルメス”のショーウィンドーのもの。
ショップのウィンドーにはあまり使われない生花の斬新なディスプレーに、思わず足を止めてしまいました。
水は霧吹きで根に直接あげるのでしょうか?

CASTELLO SRORZESCO

アップロードファイル 180-1.jpgアップロードファイル 180-2.jpgアップロードファイル 180-3.jpgアップロードファイル 180-4.jpg

実は出張でミラノに行くようになってまだ2,3年程の私は、行った事のない名所がたくさんあります。そこで今回は、その一つである“CASTELLO SRORZESCO(スフォルツェスコ城)”に行ってみることにしました。
14から15世紀にかけてミラノ公であったヴィスコンティ家とスフォルツァ家の居城として使用されたこの城は、1466年に時の当主 フランチェスコ・スフォルツァによって城壁が建てられて以来、現在まで変わらぬ姿を保っています。
内部は美術・博物館となっており、ミケランジェロの最後の作品として知られる“ロンダニーニのピエタ”などが収蔵されています。
残念ながら、今回はあまり時間がなかったので内部を少し散策しただけでしたが、5世紀を超える長い歳月の記憶をその荘厳な建築に秘めるこの“スフォルツェスコ城”には、何とも言えない迫力を感じました。
左上写真は正門前広場からで、右上写真は同じ塔を城内の中庭から見た模様。
左下写真の彫刻は場内に飾られていたもので、その素性は分かりませんでしたが、かなり古い物のようです。
この城の裏には48ヘクタールの広大な敷地を誇る“センピオーネ公園”があり、城の裏門(右下写真)を抜けるとミラノ市内で有数の緑豊かな景色が広がっています。
この日は公園に移動遊園地が来ていて、子供達で大賑わいでした。

FIAT 500

アップロードファイル 179-1.jpgアップロードファイル 179-2.jpg

随分と間が空いてしまいましたが、ヨーロッパ出張シリーズに戻らせていただきます。
考えてみれば帰国してからまだ1ヶ月程しか経っていないのですが、ずっとバタバタしていたのでもう随分昔に感じてしまいます。
さて、今回のトピックは私の大好きな「車」。
ヨーロッパの各都市を歩いていると、いつも路上の車に目がいってしまうのですが、特にイタリアとフランスは自国車の割合が高く、新旧様々なラテン車が元気に走り回っているのを見るのは楽しいものです。
今回ミラノにいて特に目に付いたのが、日本では先月発売されたばかりの“FIAT 500(フィアット・チンクエチェント=左写真)”。
ご存知の方も多いと思いますが、この車は1957年から1975年まで生産され、イタリアの「国民車」として親しまれた“NUOVA 500(ヌォーヴァ・チンクエチェント=右写真)”の現代版として生み出されました。
数年前に登場し、人気を博してきた“NEW MINI(ニューミニ)”に刺激される形で世に出る事になったのは明白ですが、世界中で愛された独特のかわいらしい姿は全くスポイルされる事なくこの新しい車に活かされており、その高い走行性能と相まってイタリア以外の欧州各国でも大変好調な販売が続いているようです。
イタリアでは多くの“NUOVA 500”がまだ現役で走っており、信号や道端でこの2台が並んで停まっている姿を見かけることも珍しくありません。
新しい“FIAT 500”の成功は、「優れたデザインとコンセプトは普遍的である」ことを示す良い例ではないでしょうか。

GARELLIA

アップロードファイル 169-1.jpgアップロードファイル 169-2.jpg

先週の金曜日に帰国し、今日から通常業務に戻っています。
今週末には“リア ブラウン&ダンスフォード”のジェームス・ダンスフォード氏が来日するなど相変わらずバタバタなのですが、まずは溜まった仕事を一つずつ片付けて行きたいと思います。
さて早速ですが、最初の目的地ミラノの話題からお届けしたいと思います。
“ドゥオモ広場”に面した有名なショッピングアーケード“ガレリア(正式名:ヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリア)”は1877年に完成したもので、ミラノを代表する観光名所として親しまれています。
ヴィットリオ・エマヌエレ2世はサヴォイ公家出身の人物で、1861年に成立した“統一イタリア王国”の初代国王として知られています。
美しい内装を持つこの“ガレリア”ですが、ドーム状の屋根を持つ中央の十字路の壁面には、4大陸を表す美しいモザイク画が描かれています(左写真)。
このドームのほぼ直下の路上には雄牛のモザイク画があり、いつも多くの人が集まっているのですが、これはミラノの人々の間の言い伝え「この雄牛の大切な部分に踵を載せ3回転(1回転・5回転などの説も有り)すると幸せになれる」の為で、私が訪れた時も多くの人が順番にクルクルと回っていました(右写真)。

SUNDAY IN LONDON

アップロードファイル 168-1.jpgアップロードファイル 168-2.jpg

先程(17:10)ロンドンのキングス・クロス駅を出発し、ヨークシャーの中心都市リーズに向かう特急に揺られています。
こちらはまだ24日の日曜日で、現在18時を少し周ったところです。
ロンドンには21日の夕方にスコットランドのグラスゴーから入ったのですが、気温は思ったよりも暖かく特に今日はコートを着ていると少し汗をかく位の陽気でした。
さて、一昨日の金曜日はサヴィル・ロウの老舗テーラー2軒にお邪魔したりしたのですが、この土日はオフだった為市内散策を愉しんできました。
左写真は今朝のリージェント・ストリートの様子で、右写真は同じくサヴィル・ロウのものです。
サヴィル・ロウのテーラーは軒並み日曜日休業の為、通りはひっそりとしていましたが、プレタポルテを扱っている“ギーブス&ホークス”のみ営業していました。
明日はリーズ近郊の町ファースリーを本拠地とする名門ミル、“エドウィン・ウッドハウス”にお邪魔する予定になっています。
今回の旅もいよいよ終盤にさしかかってきました。

LAST NIGHT IN MILAN

アップロードファイル 167-1.jpgアップロードファイル 167-2.jpg

今晩でミラノは最後となり、明日の朝には車で約1時間の距離にある町ビエラに向かいます。
ご存知の方も多いと思いますが、ビエラは英国のハダスフィールドと並ぶ紳士服地の産地で、イタリア服地の聖地として名高い場所です。
2日間で3つのミル(織物工場)を訪問する予定になっており、その後英国に向かいます。
さて、昨日と今日は完全にオフだったので、ミラノ在住のお知り合いの方に案内していただき、観光とショッピングを愉しんできました。
この週末の模様は後日また書かせていただきますが、上の写真は先程行ってきた市内中心部“PIAZZA DUOMO(ドゥオモ広場)”のものです。
ライトアップされた聖堂(右写真)は幻想的で非常に美しく、思わず見とれてしまいました。